🎬👀 見えなくても「観る」ということ
動画を見たり、テレビを楽しんだりしていると話すと、
健常者の反応はだいたい二つに分かれます。
ひとつは、
「うそだぁ」「まさか!」と、にわかには信じられない人。
もうひとつは、
「へぇ、わかるの?」と、不思議そうに質問してくる人です 🤔
❓広がる疑問、分かれるリアクション
さらに興味を持った人は、こんなふうに質問を重ねてきます。
「どうやって見るの?」
「副音声ってついてるの?」
そしてここでも、また二つに分かれます。
💬 どんどん質問してくる人
🙊 失礼かもと気を遣って、あえて何も聞かない人
🙋♀️ 私は「聞いてくれる人」が好き
これに関して、私個人の気持ちを言えば――
スルーされるよりも、興味を持って質問してくれる方がうれしいです ✨
なぜなら、
「どうして?」「どうやって?」という素朴な疑問から、
視覚障害についての理解が少しずつ広がっていくから。
そのやりとりの中で、たとえば
👉 「全盲の人はラジオしか聞かない」
そんな思い込みが、ひとつ消えていくかもしれません。
🌍 誤解は、放っておくと“常識”になる
もちろん、障害や病気についてあれこれ聞かれるのが苦手な人もいます。
その気持ちも、わかります。
でも一方で――
当事者が発信しなければ、
世の中には「たぶんこうだろう」という想像だけが残ります。
そしてそれが、いつの間にか
“常識”として広まってしまう。
🧩 「同じ障害」でも同じじゃない
ひとくちに視覚障害といっても、さまざまです。
生まれつき見えない人と、中途で見えなくなった人
全盲と弱視
点字の読み書きができるかどうか
さらに、生活スタイルや環境によっても、
「できること・できないこと」は人それぞれ違います。
だからこそ、
当事者の声で伝えていくことに意味があると思っています 🗣️
✋ でも、何でもOKなわけじゃない
とはいえ――
私は「失礼なくらい質問してくる人」には基本的に答えますが、
障害と関係のないことまで詮索されるのは、やっぱり苦手です 😅
私個人の情報を広めることに意味はありませんからね。
✍️ このブログを書いている理由
👉 視覚障害に対する誤解や先入観、
たとえば、目が見えないと言えば、
ものすごく哀れなものを見るような視線を向けてきて、「かわいそうに」を連呼してくる人がいます。
私には何がかわいそうなのか理解できません。
むしろ、相手のほうこそ狭い世界で生きて来たんだなとかわいそうになります。
そういうことを少しでも減らすため、このブログを開設したわけです。
そして、障害や病気を抱えてしまった人へ、
健常だったころを懐かしみ、今の自分を嘆くのではなく、
これからは何をどう工夫すれば、健常だったころに近い生活ができるのかを考えてほしい。
どうしても自力ではできないことがあったとしても、嘆く必要はないということを知ってほしいのです。
障碍者や病人は社会的には弱者かもしれませんが、
心まで弱者を決め込む必要はありません。
🔜 次回予告
本当なら、今回は
「副音声」の話を書くつもりだったんでした 😂
これはまた次回、じっくりお話ししますね!
今日はここまで 👋