輪郭をなぞりながら、そろり日々をたどるメモ

全盲として過ごす、ささやかな日々の記録。

便利な時代の、見えない不便

便利な社会の、もうひとつの側面 📱✨

最近、電化製品はタッチパネルになり、
レジはセルフ化され、飲食店の注文もタブレットやスマホからできる店が増えてきました。
人手不足の対策にもなるし、操作もスムーズ。
効率という意味では、文明は確実に進化しています。 🚀

でもその変化を
少し違う視点から見てみると別の問題も見えてきます。
それは、視覚障害のある人にとっての使いやすさ。👀


触ればわかった時代 🔘

電化製品には、ボタンやダイヤルがついているのが「普通」でした。
触れば位置や形がわかるので、
覚えてしまえば目で見なくてもある程度操作できます。

たとえば、
「この丸いダイヤルは音量」
「この出っ張ったボタンは電源」

といったように、触覚だけでも判断できることが多かった。 🖐️
ところが、最近はタッチパネルが増えてきました。
見た目はすっきりしているけれど、
平らな面では触っても場所がわかりません。
どこを触ればいいのか、
見えない人には判断ができないんです。 📺


セルフ化する支払い 💳🧾

支払いの方法も大きく変わってきました。
セルフレジや自動支払機は、
画面の案内に従って操作する仕組みがほとんどです。
慣れている人にとっては早くて便利でしょう。
店員とのやり取りも少なくて済みます。
店側にとっても効率がいいのかもしれません。

でも、画面が見えない場合はどうでしょう。
操作の流れが分からなかったり、どこを押せばいいのか迷ったりします。
周りに助けてくれる人がいないと、支払いそのものができません。 🤔


タッチパネル注文の壁 🍜📱

飲食店でも、タッチパネル注文やスマホ注文が増えています。
これもまた店側にとっては、

・人手不足問題の解消
・注文ミスの減少
・業務の効率化

といったメリットがあります。 📊

でも、視覚障害のある人にとっては、
「注文する」というシンプルな行為がかなり高いハードルになるんです。

メニューが見えない
ボタンの場所が分からない
音声案内がない

そんな状況では、
気軽に外食することも難しくなります。 🍽️


技術は敵ではない 🤖🌱

もちろん、技術の進歩そのものが悪いわけではありません。
スマートフォンには音声読み上げ機能があり、
ナビアプリやAIも、視覚障害のある人の生活を助けています。📱🔊

ただ、社会の仕組みが「見えること」を前提に作られてしまうと、
便利さが広がるほどに、不便を感じる人も出てくるのです。


本当の意味での進歩とは 💡

少しだけ想像してみたらどうでしょう。
もし自分が目で見えなかったら、この機械は使えるだろうか。 👓
そんな視点が、
これからの技術にはきっと大切になってきます。

文明が進むほど、「誰でも使える仕組み」も一緒に進んでいく。
そんな社会になったら、便利さはもっとやさしいものになるのかもしれません。 ✨🌏

今日の予定と、足りない手 🤔

◆ ヘルパーさんが足りないのは、なぜ? 🤔💭

以前、我が家の外出事情について書いた記事の中で、
ヘルパーさんの人手不足について触れました。

「限られた時間で、外へ」
https://lyranex-memoir.hatenadiary.jp/entry/20260225/1771971506

今回は、そのあたりをもう少し深掘りしてみたいと思います。
………
「人手が本当に足りなくて…」
そんな言葉を、ヘルパーさんからよく聞きます。
ニュースで見る“人手不足”という言葉が、ぐっと身近になっている📰
でも、それはただの数字の話ではなくて、
私たちの生活に、ちゃんと影響しています。


◆ 「空きがありません」と言われる日 📅

たとえば、支援時間を少し変更したいとき。
「この日を別の日に動かせませんか?」と相談すると、
返ってくるのは、やわらかいけれど困った声。
「その日はもう空きがなくて…」😔

責めているわけではありません。
むしろ、申し訳なさそうに言われることの方が多いです。
その一言で、
こちらは予定を組み直さなければいけません 🗓️
小さな調整の積み重ねが、じわじわ効いてきます。


◆ 「急なお願い」は、ほぼ無理 😌

体調が少し不安定な日。
予定外の用事ができた日。
「今日、少しだけお願いできませんか?」
そう思っても、現実はなかなか厳しい。

すでにヘルパーさんは、
朝から夕方まで別の利用者さんの予定でいっぱい 🕒
1時間だけ空ける、みたいなことが難しいんです。

ヘルパーさん自身も、
数時間ごとに移動しながら働いています 🚶‍♀️🚃
空き時間があるように見えても、
その間には移動や準備が入るわけで、
結果として、
「急な対応はほぼできない」という状況になります。


◆ ヘルパーさんの“高齢化”という現実 👵📉

実は、ヘルパーさん自身の年齢層が全体的に高くなっています。
階段の上り下り、買い物の付き添い、掃除や入浴介助…。
暑い日も寒い日も移動し続ける仕事です ☀️❄️

それでも続けてくれていることに感謝しかありませんが、
年齢とともに働ける時間が限られていくのも自然なこと。
若い人がなかなか増えず、
ベテランの方が少しずつ引退していく。
その流れが、
「足りない」という状況をさらに深くしているように感じます。


◆ ヘルパーさんの大変さも見えてくる 💦

前の支援が長引いて、少し遅れて到着することもあるし、
「すみません、道が混んでいて…」と息を切らして来られることもあります 🚴‍♀️💨
その後も、時間通りに次の利用者さんのところへ向かわなければなりません。

1日何件も回り、
天気に関係なく外を移動し、
利用者ごとに違う支援内容に対応する。

責任は重い。
気も遣う。
体力も使う。
人が足りない理由は、
きっとひとつではないのだろうな、と感じます。


◆ 「足りない」は、生活の問題 🌿

人手不足という言葉は、

  • 希望の時間が取れない ⏰
  • 急な変更ができない 🔄
  • 外出の自由度が下がる 🚪

という形で、日常に表れます。
制度があるだけでは足りない。
そこに動いてくれる人がいて、はじめて成り立つ 🤝
そしてその人たちもまた、年齢を重ねていく。

人手不足は、
社会全体の構造の問題なのだと思います 🏙️
その影響の中で、私たちは今日も予定を組み、
選びながら暮らしているのです 😊🌸

タクシーは、いつも小さな賭け 🎲🚖

視覚障碍者とタクシー 🚕✨

遠出したいとき、道を知らない場所へ行きたいとき、電車を使うほどの距離ではないとき。
車を持っていない人が利用するのは、やっぱりタクシーでしょう 🚕
私もよく使います。
でも正直、タクシーは当たりハズレが激しいんです 🎯💦


見えないことで起きる、いくつもの壁

まず、目が見えない人がタクシーを利用するうえでの難点を挙げると――

  • 走行中の空車タクシーを止めることができないのは言うまでもありません。
  • 呼んだタクシーが到着したのかどうかがわからない。
  • 目的地に着いても、どのあたりに車が止まったのかわからない。
  • 車から降りたあと、どう進めば、目的の建物の入り口にたどり着けるのかわからない。
  • 走行中、曲がる場所や目印の建物について確認を求められることがある。
    などなど… 😌

親切な人もいれば…

親切なドライバーさんは、
到着すれば声をかけてくれるし、
目的地に着けば入り口まで手を引いてくれます 🙏✨
ところが、世の中親切な人ばかりではないのが現実。
白杖をわかりやすく持って待っていても、
まったく声をかけてくれず、お互いすぐそばにいるのに、
何分も気づかれないまま待ち続けたこともあります ⏳💦

目的地に着いたとき、手引きをお願いしても、
面倒くさそうに「降りたらまっすぐ行けばいいよ」
と適当に説明するだけの人もいます。
手引きはしてくれるものの、
あからさまに面倒くさそうな態度を隠さなかったり、
軽く舌打ちをされたこともありました。


見えなくても、伝わるもの ⚡

走行中、
「ここで曲がればいいの?」
「ここで止まればいいの?」
と聞かれることがよくあります。
でも、窓の外の景色が見えないので、応えようがありません。
土地勘がなかったりすると、
今どこを走っているのか説明されてもわかりませんよね。

その旨を伝えた時も、
「なんだよ…。面倒くさいなぁ」、「ちっ」
という心の声が、聞こえてきます。
そういう態度って、見えなくてもわかるものなんです。

不親切なドライバーさんからは、
敵意に似たオーラのようなものを感じます ⚡
一方で、どんなに口数が少なく、感情が読み取りにくくても、
本当に親切な人からは、そんなどす黒いオーラは感じません 🌿


福祉タクシーなら安心…とは限らない

困ったことに、福祉タクシーなら優しいドライバーさんばかりかというと、
残念ながら、そうでもないのが現実です。
そして、「今回のドライバーさんはよかったな」
と思っても、名前がわからないので指名ができません。
かといって、本人に名前を尋ねる度胸も気力もなくて…。


だから私は、今日も少しだけ賭ける 🎲🚕

だから、私にとってタクシーは、
いまだにちょっとしたギャンブルなのです。
ドアが開くその瞬間まで、
今日はどんな人だろう、と少しだけ身構える。
でも同時に、
「どうか、やさしい人でありますように」
と、ほんの少しだけ期待もしています 🌿✨

見えない私たちにとって、
タクシーはただの移動手段ではありません。
電車やバスでは行きにくい場所へ行くための、
生命線のような存在です 🚌💨
だから、不親切なドライバーさんに当たると、
思っている以上に大きな影響があります ⚡😢

それでも、これまで何度も救われてきました 💛
さりげなく声をかけてくれる人、目的地まで自然に手を引いてくれる人、
「大丈夫ですか?」と、
当たり前のように気づいてくれる人。
見えなくても、やさしさや冷たさは、ちゃんと伝わります 💌
だから今日も、少しだけ賭けて、少しだけ信じてみるのです 🎲💛🚕✨

白杖と歩きスマホ : すれ違う命の距離 👣

視覚障碍者の歩行と「歩きスマホ」の人たち 📱👀

ひとりで白杖を使って歩いていると、
街中では意外といろんな壁にぶつかります。
特に、悩ましいのは、
歩きスマホの人たちと衝突することが少なくないという事実です 😅💦


白杖は「安全のサイン」だけど…

白杖を持っているとき、私たちは周りに「気をつけてほしい」というサインを出しています。
でも、スマホに夢中な人には、まったく届きません 📱❌
それだけでなく、

  • 点字ブロックの上で立ち止まって電話をする
  • 歩道の隅で話し込む
  • 荷物をどっかり置いている

そんな場面に遭遇することがあります。
ぶつかったとき、相手が反射的に顔をあげるのを感じる。驚く様子が伝わってくる。
それによって、相手が周囲に全く注意を向けていなかったんだということが、見えなくてもわかります。
相手も視覚障碍者だった場合は、
ぶつかった時の反応が健常者のそれとは違いますし、何より杖や介助犬の存在を感じるはず 戌😲


「避けてもらう」のが白杖の役割 ⚡

私たちは自分で障害物を避けることがほぼできません。
だから、基本的には 相手に避けてもらうための道具 が白杖なんです 🚶‍♀️🛑

それなのに衝突したとき、
なぜか「どこ見て歩いてんのよ!」と怒られることがあります 😢💨
ため息や舌打ちをされることも。
正直、ため息をつきたいのはこっちのほうですし、
「どこ見て歩いてんのよ!」もこちらのセリフです 😤💔


衝突は一瞬でも、影響は大きい ⚡💥

人ごみの駅構内や駅前では、
ぶつかると軽くしりもちをついたり、
吹っ飛ぶくらいの衝撃を受けることもあります 😵💦
点字ブロックの上に荷物を置いたり、
立ち止まって話す人も多く、
避けるのに大きく迂回しなければならないことも 🌀
ホームだったら、どうなっていたか……と考えると、ゾッとします。


白杖の意味はわかっているはず…なのに? 🤔

不思議なのは、多くの人が白杖や点字ブロックの意味を理解していることです 👀💭

  • 近づくと荷物をどかす
  • 白杖に気づくと避ける

それなら、どうして点字ブロックの上で話したり、荷物を置いたりするのでしょうか…?
多分、多くの人はこう思っているのかもしれません。
「まさか、こんなところに障碍者がいるとは思わなかった…」
でも、私たちはこういう状況の中で街を歩いています 🚶‍♀️💛


伝えたいこと ✨

白杖はただの杖ではなく、
私たちの命を守るためのサインです 🛑💢
それなのに、歩きスマホや無意識な行動で
私たちの存在を見落とす人が後を絶たない。
気づけば気づいたで、「なんでこんなところに障碍者がいるんだよ!」、「邪魔だなぁ!」
と舌打ちする人も、ため息を吐く人も少なくない。

たった少し立ち止まって周りに気づくこと、
白杖を見て避けること、
それだけで衝突も不快な思いも、確実に減らせるはず。
街を歩くみんなが、ほんの少しの注意を払うだけで、
誰もが安心して歩ける街は作れるはずです 🌍💛🔥

支援と外食のあいだで、ちょっと立ち止まる話

🍽️ ヘルパーさんの食事代はだれが払う?

前回、制度の話の中で
ヘルパーさんの食事代も利用者が負担する と書きました。

ヘルパーさんも一緒に食べるなら、いいんです。納得できます 😊
でも、ときにはこんな場合もあります。


🧑‍🍳 食べないけれど「支援」はしている

ヘルパーさんは、
私たちの 食事を助けるだけ で、自分は食べないということも。

たとえば──
📖 メニューの代読
🍽️ 運ばれてきた料理の説明
🔪 料理を切り分ける
🔥 焼き肉店やお好み焼き店などで、焼く作業
🥤 ドリンクバーから飲み物を運ぶ
こうしたサポートをして、
自分は何も口にしない、ということもあるんです。

普通に考えれば、食べない人の食事代は発生しないはず。
ヘルパーさんが「自分は介助者なので食べません」と前置きすれば、
注文しなくても店側から何か言われることは、ほとんどありません。
ただ、店員さんが少し不思議そうに
「それだけでよろしいですか?」と確認することはあるけど 😅


🍖 問題になるのは「食べ放題」

やっかいなのは、
食べ放題バイキング形式 のお店です。

通常メニューと同じように、
食べる人の分だけ注文でOK というお店もあります。

でも実際には──
「食べなくても人数分注文してください」
と言われるお店も少なくありません。

介助者であっても注文が必要。
注文すれば当然、
食べない人の食事代 が発生し、それを利用者が負担する 💴


💰 結果的に“割高”になる現実

わが家の場合、
私と夫に、ひとりのヘルパーさんがつくので、
食べるのは二人。
でも支払うのは三人分。
それだけ二人で「元が取れる」ほど食べられればいいかもしれません。
でも、いくらなんでも限度がありますよね 😅

障碍者だって、「今日は食べ放題行こうか!」
そんな気分になることはあります。
でも結果的に、健常のお客さんより高くなる。
かといって、店員さんが配慮してくれるわけでもありません。
おそらくお店のルールなのでしょう。
でも正直、
あまりいい気分ではありません 😞


🎤 カラオケ店の場合は?

一方で、カラオケ店の場合は少し事情が違います。
カラオケの料金は、多くのお店で
👤 1人あたりの室料
🥤 ドリンクバー込みプラン
⏰ 時間制パック料金
といった「人数基準」で設定されています。
部屋を使う=人数分の料金、
という仕組みになっていることが多いんです。

ヘルパーさんは歌わなくても、
同じ部屋に入り、同じ時間を過ごす。
安全確保や移動支援も含めて、
その空間を共有している。 だから、
人数分の室料がかかるというわけです 🎤

飲食店のように
「食べる・食べない」ではっきり区別しにくい仕組みなんですね。
この理屈はしっくりくる気がするので、
カラオケの場合は比較的納得できます。


🤔 やっぱり考えてしまう

食べ放題は、
本来「たくさん食べる人ほどお得」な仕組みのはず。
でも私たちは、
食べない人の分まで支払う前提

それがわかった時点で、 そのお店はあきらめます。

🌱 それは「仕方ない」で終わらせていいの?

お店にはお店のルールがある。
運営の事情がある。
それはわかる。 

でも──
支援が必要だからこそヘルパーさんと一緒に外出しているのに、
そのことで健常者より出費が高くなる現実。
それを「仕方ない」で片づけてしまっていいのでしょうか。

私たちは特別扱いを求めているわけではありません。
ただ、食べていない人の分まで払う前提が当たり前になっていることに、
少しだけ立ち止まってほしいんです 🕊
今の仕組みは、
支援を受けながら生きる人にとって、少しハードルが高い。

ほんの少しの柔軟さ。
それだけで、外出の幅はぐっと広がります 🌈

制度のあいだで暮らす: 移動支援と同行援護のこと

🦯🚶‍♀️ 移動支援と同行援護のちがい

〜私たちが今使っている制度のこと〜

前回、我が家ではヘルパーさんに付き添ってもらって
いつも買い物をしている、と書きました。 🛒✨
今日はその続き。

実は今、
私と夫が利用しているのは
「移動支援」 という制度です。


🔵 私たちが使っているのは「移動支援」

移動支援は、市区町村が行っている事業で、
障害のある人の外出をサポートする制度です。 🏙️
根拠になっているのは
障害者総合支援法

ただし、同行援護と違って
市町村ごとに運用の違いがあります。
本来、
視覚障害のある人の外出支援は
「同行援護」 が想定されています。

でも今は、視覚障害者を受け入れている移動支援事業所も少なくありません。
私たちは、そうした事業所に支えてもらっているわけです。 🌸


🟢 同行援護とのちがい

同行援護は、
視覚障害者向けに作られた専門的な制度です。

  • 状況説明
  • 看板や表示の読み上げ
  • 危険回避
  • 代筆・代読

など、「情報支援」が明確に含まれている。 👀✨
でも、実際の支援内容は、
移動支援でもほとんど同じことをしてくれています。

だから日常生活の体感としては、
大きな差を感じないこともあるけれど、
制度上の違いは、ちゃんとあるわけです。 📘


🚗 大きなポイント① 事業所の車

同行援護では、原則として
事業所の車を使えません。
公共交通機関を使うことが前提になります。 🚃

一方、移動支援では
事業所の車を使える場合があります。 🚗✨
(※これも自治体や事業所によります)

この違いは、
地方では特に大きいです。
バスが少ない地域では、
移動手段そのものが変わってしまうから。


🏥 大きなポイント② 定期的な通院・通勤・通学

同行援護は、条件を満たせば
定期的な通院や通学などに利用できる場合があります。

一方で移動支援は、原則として
通勤、通学、
継続的・恒常的な利用は、難しいことが多いです。
ここは制度設計の考え方の違いでもあります。
「生活支援」と「社会参加の保障」の線引きが、
まだ少しあいまいなんですかね。 💭


💰 利用者の負担について

「全部公費でまかなわれているんでしょ?」
と思われがちですが、そうではありません。

  • サービス利用料の自己負担(原則1割)
  • ヘルパーさんの交通費
  • 外出中のヘルパーさんの食事代

これらは、 利用者負担 になります。

例えば、外出先で一緒に昼食をとる場合、
ヘルパーさんの分は利用者が支払います。 🍽️
小さな積み重ねだけれど、
回数が増えるとそれなりの負担です。


🌱 制度のあいだで暮らしている

私たちは今、移動支援を利用しています。
でも、制度の本来の設計から言えば、
視覚障害なら同行援護が基本。
現実は制度どおりにきれいに分かれているわけではありません。

  • 事業所の体制、
  • 自治体の運用、
  • 人手不足、
  • 地域差――

いろいろな条件のなかで、
「今使える制度」を使って暮らしている。
福祉制度は、紙の上ではシンプルに見えるけれど、
実際の生活はとても立体的。

それでも。外出できることは、
世界とつながれること。 🌏✨
その時間を支えてくれる人がいることに、
感謝しています。

限られた時間で、外へ

▼ ヘルパーさんと、わが家の外出事情 🛒🍽️🎤

わが家では私も、全盲の夫も、同じ事業所のヘルパーさんを利用しています👫
外出したいとき、気軽に「ちょっと付き添って」と頼める人が身近にいない私たちにとって、
ヘルパーさんはとても大切な存在です。

ただし、ヘルパーさんの支援は福祉制度に基づいたもので、
利用時間や支援内容にはきちんと決まりがあります📝
しかも、その運用は自治体ごとに少しずつ違い、
事業所の体制によっても変わります。
思っているより、単純ではありません。


▼ 夫と一緒に出かけるということ 🚶‍♂️🚶‍♀️

買い物、外食、カラオケ。
わが家の外出は、基本的に夫と一緒です。
外に出ること自体が、ちょっとしたイベントのようなもの。
一緒に動くことで安心感もあります。

でも、夫は「ひとりで行ける場所には、ひとりで行く」タイプです。
慣れている場所や、自分で問題なく動ける範囲なら、
わざわざヘルパーさんをお願いすることはありません。
自立できるところは自立する。
必要なところだけ、きちんと支援をお願いする。
そんなバランスを大切にしています。


▼ 外出を支える“人”が足りない 😔

ここ数年、特に強く感じているのが、人手不足の深刻さです。
支援を必要としている人はたくさんいる。
なのに、ヘルパーさんの数が足りていない。
その結果、

  • 希望した時間に入ってもらえない
  • 急な予定変更には対応できない
  • 同じ時間帯に利用希望が集中すると調整が難しい
  • ヘルパーさん一人あたりの負担が大きくなる

といったことが起こります。
「今週はこの時間しか空いていません」
そう言われれば、できる限りその枠に合わせて生活を組み直します。

制度はあっても、実際に動かしているのは“人”。
その人が足りなければ、外出の自由度はどうしても下がってしまいます。


▼ 買い物も、外食も、カラオケも 🎶

毎週の買い物は、生活の土台です🛒
1週間分の食材や生活雑貨を、
決まった時間の中でまとめて買います。
でも、外食を入れれば買い物の時間は減りますし、
カラオケを優先すれば、その日は買い物はできません🎤

今日はどれを優先する?
冷蔵庫の中身は大丈夫?
そんなことを夫と話しながら決めます。
人手不足の影響で、支援時間が限られているからこそ、
ひとつひとつの外出が、ちょっとした選択になります。


▼ 制度の中で、選びながら暮らす 🌿

ヘルパーさんは、本当にありがたい存在です。
でも、時間も人手も無限ではありません。
特に今は、「支援を受けられるかどうか」が、
利用者側の事情だけでは決まらない現実があります。

それでも、 買い物をして、
ときどき外食をして、
思いきりカラオケを楽しむ。
そのひとつひとつを、自分たちで選んでいます。

できることは自分たちで。
難しいところは、きちんと助けてもらう。
人手不足という現実の中でも、
できる範囲で、できる形で。
そんなふうに、わが家の外出は続いています 😊🌸