輪郭をなぞりながら、そろり日々をたどるメモ

全盲として過ごす、ささやかな日々の記録。

透明人間じゃなかった日

🚄 全盲夫婦、はじめての静岡旅 🌿

全盲の夫婦ふたりだけで、静岡へ二泊三日の旅行に行ってきました。
付き添いの健常者なしでの小旅行は時々していますが、
静岡は今回が初めてです✨

タクシー、新幹線、在来線を乗り継いでの、
なかなか長い旅になりました。


🚕 まずは駅まで

私たちはまずタクシーで駅へ向かいます。
できれば、親切なドライバーさんが多い福祉タクシーを選びたいところ。
切符は事前に購入してあるので、乗車中に
「駅に着いたら窓口まで連れて行ってください」
とお願いしておきます。

親切なドライバーさんだと、
こちらから頼まなくても駅員さんのところまで案内してくれることもあります😊


🚉 視覚障害者に欠かせない「エスコート」

切符を買うときには、
「当日はエスコートをお願いします」
と頼んでおくのが欠かせません。

駅員さんのもとまでたどり着ければ、
そこからは乗車まで手引きをしてもらえます。
さらに、その連絡は乗り換え先の駅にも共有されていて、
到着すると次の駅員さんが待っていてくれるんです。

つまり、駅から駅へと
バトンリレーのようにつながっていく、とてもありがたい仕組みなんですね✨


🏨 御殿場駅でのうれしい出来事

静岡の 御殿場駅 からホテルまでは、
最初は自力で歩こうと思っていました。
ホテルは駅から近く、
タクシーを使うほどの距離ではなかったからです。

駅員さんには、
「歩道のあたりまで案内してもらって、ホテルの方向を教えてもらえれば十分かな」
と思っていました。

ところが駅員さんは、
「点字ブロックがないし、途中で橋も渡らなきゃいけないんですけど……大丈夫ですか?」
と心配してくださり、最終的には、
「もう一緒に行っちゃいますね!」
と言って、ホテルまで案内してくれたんです🥹


🌸 “駅の外まで” は珍しい

これは本当にうれしいハプニングでした。
普通、駅員さんが駅の外まで同行してくれることはほとんどありません。
案内があっても、
せいぜいタクシー乗り場までということが多いんです。
だからこそ、
今回の親切は本当にありがたくて、心に残りました。


🏙️ 東京で感じた「透明人間」のような感覚

以前、東京へ行ったときは、
駅からホテルまで本当に苦労しました。
大勢の歩行者が行き交う駅前で、
私たちは明らかに迷っていました。
それなのに、誰一人として声をかけてくれなかったんです。

こちらから人がいそうな方向へ声をかけても、
返事はなく、そっと通り過ぎていく気配だけがする。
見えなくても、人の「気配」ってわかるんですよね。

「関わりたくない」
「私はいませんよー。いませんからねー」
そんな空気が、静かに伝わってきます。
まるで、自分たちが透明人間になったみたいでした。


🌿 都会と地方、人との距離感

もちろん、地方の人がみんな親切というわけではありません。
土地柄もあると思います。

でも経験上、都会では
「困っている人に関わりたくない」
という空気を強く感じます。

田舎者の偏見なのかもしれません。
それでも、そう感じてしまうだけの冷たさが、都会には確かにある気がするんです。


✨ 不安を吹き飛ばしてくれた親切

だからこそ、今回の駅員さんの対応は本当にありがたかったです。
「迷ったらどうしよう」
「助けてくれる人に出会えなかったらどうしよう」
そんな不安があっただけに、
ホテルまで一緒に来てくださったことは、本当に救いでした。
旅先で出会った親切は、心に残るものですね😊

読書をあきらめなくてよくなった時代

📚 最近の「読書事情」がすごい、という話

昔の私は、読書がかなり苦手でした。
いや、正確に言うと
「本を読むこと自体」は好きだったんです。
でも、弱視だったころは、とにかく読むのが大変。

文字をかなり近づけて見たり、
拡大読書器を使ったり、
明るさを調整したり、
ルーペを使ったり。

数ページ読むだけで疲れてしまう。
「読みたい本」はたくさんあるのに、
「読める本」は限られている。
そんな感覚がずっとありました。


🎧 でも、最近はかなり変わってきた

ここ数年で、
読書の環境が本当に変わったなあと感じます。
昔は、視覚障碍者向けの本というと、
点字図書やボランティアさんによる録音図書が中心でした。
もちろんそれもすごく大切な存在なんですが、
今はそれ以外の選択肢が一気に増えています。

たとえばオーディオブック。
スマホでそのまま本を聴ける時代になりました。📱🎙️
しかも最近のスマホって、
標準の音声読み上げ機能がかなり優秀なんですよね。

電子書籍も、以前より読み上げ対応のものが増えてきて、
文字サイズを変えたり、拡大したり、
自分に合った読み方を選べるようになってきました。
これ、地味に見えてかなり大きな変化です。


📖 「読めない」が前提じゃなくなってきた

以前は、
「視覚障碍者には読書は難しい」
という空気がどこかにありました。
でも最近は、
「どうすれば読めるようになるか」を考える流れに変わってきています。

実際、
誰でも読書を楽しめる社会を目指すための法律も新しく施行されました。 その影響もあって、
図書館サービスや電子書籍のアクセシビリティについて、
少しずつ整備が進んでいます。

もちろん、まだまだ課題はあります。
読み上げできない電子書籍もあるし、
画像ばかりで内容が伝わらない本もある。
(イラストや画像は音声読み上げでは説明してくれない)
「対応しています」と書いてあっても、
実際には使いづらいこともあります。
それでも、昔と比べると本当に世界が広がりました。


🌱 読書のハードルが下がっただけでも嬉しい

弱視だったころには難しかった読書が、
今は以前よりずっと自然に楽しめるようになりました。
技術の進歩ってすごい。
そして、それを
「誰でも使えるようにしよう」と考えてきた人たちもすごい。

読書って、本来は一部の人だけのものじゃないはずです。
見える・見えないに関係なく、
みんなが自由に物語や知識に触れられる社会になっていけばいいなと思います。

音とAIでひらく、もうひとつのゲーム体験

🎮 見えなくても楽しめる?ゲームの新しいかたち


👀「見える人の遊び」だと思っていた

今日は、ゲームの話です。

テレビゲームや携帯ゲームは、これまでずっと
“見える人たちだけのもの”だと思っていました。

視覚障碍者には縁のない遊び。
実際、今でもそう考えている人は多いと思います。
けれど、最近になって
そうでもないらしい 、ということがわかってきました。


🤖 AIが「目」になる時代

たとえばノベルゲーム。
画像認識AIを使えば、画面が見えなくても
映像の内容を把握することができます。
スマホに入れたAIでテレビ画面を撮影すると、
シーンの様子を詳しく説明してくれる。
さらに、画面に表示されたキャラクターの台詞も読み上げてくれます。

もちろん、画面が切り替わるたびに撮影する手間はあります。
ただ、フルボイス作品であれば、
多くの台詞はキャラクター自身が話してくれるため、
負担はある程度軽減されます。


🔊 音で遊ぶゲーム体験

一方で、格闘ゲームやRPGは少しハードルが高め。
ですが近年、
ゲームそのものに
アクセシビリティ機能 が搭載されるようになってきました。

たとえば――

  1. 音声ガイダンス
  2. キャラクターの移動方向を音で知らせるナビゲーション
  3. 敵や目標との距離を、音の高さや速さで表現する仕組み

RPGなら、正しい方向に進んでいると音が安定し、
道を外れると音が変化する。
格闘ゲームなら、相手に近づくほど音が高くなる。
こうした「音の情報」を頼りにプレイできる設計です。


🌍 まだ少ない現状

ただし、こうした配慮があるゲームは
まだまだごく一部。
しかも、その多くが海外作品です。

日本のゲームにも、
障碍のあるプレイヤーを想定した設計が
もっと広がってほしい――
そう思わずにはいられません。


🕹️ 実際にやってみた

「まったくできないわけではない」
そう知った私たちは、さっそくPS5を購入。
プレイできそうなゲームを探してみました。

とはいえ、“できる”だけでは満足できません。
やっぱり好みも大事です。
そこで選んだのは――

好きな声優が出演しているノベルゲーム
アクセシビリティが明確な海外タイトル

PS5本体の音声読み上げ機能もあり、
思っていた以上にスムーズにプレイできました。


🧭 それでもRPGは迷う

ただ、やはりRPGは難しい。
AIで画面の情報は把握できても、
キャラクターとの位置関係まではわかりません。
自分がどこにいるのか、どの方向へ進めばいいのか
それが曖昧なままになってしまいます。

まっすぐ進んでいるつもりでも、
気づけばどこかに迷い込んでいる。
まるで、知らない街を手探りで歩くような感覚です。

プレイヤーが全盲なら、
操作するキャラクターもまた全盲。
音によるナビゲーションがあっても、
うまくいかないときは、やはりうまくいかない。


😅 結論:クリアは…たぶん無理?

というわけで――
RPGはクリアできるかどうか、正直わかりません。
というか、できる気がしません。
ただ、不思議なことに
比較的迷いにくいRPGも存在します。

結局のところ、
ゲームの設計や世界観、ストーリーとの相性が
大きく影響しているのでしょう。


✨ それでも広がる可能性

完全ではないにせよ、
AIやアクセシビリティの進化によって、

「できない」から「工夫すればできる」へ

ゲームの世界は、確実に広がっています。
これから先、
もっと自然に、もっと自由に楽しめる日が来ることを
期待したいですね。

声からはじまる、アニメの世界

🎧 見えなくても楽しめるアニメの世界

今回はアニメの話題。
少し前に
「目が見えなくても映像作品は楽しめる」という記事を書きましたが、
今回はその中でも
アニメ にスポットを当ててみます。


🎙️ 声から広がる楽しみ方

私がまだ弱視だったころ、声優さんが大好きな同級生がいました。
彼女は全盲でした。

好きな声優さんが出演しているアニメのDVDを“聞いたり”、
キャラクターの着信ボイスを集めたり、
キャラクターの見た目が気になるときは周りの人に尋ねたり。
そうやって、彼女なりの方法でアニメを楽しんでいたんです。

たくさんの声優が出演する作品の中から、
自分の好きな声を聞き分けることも、ごく自然にやっていました。


👀 視覚中心の楽しみ方との違い

多くの人にとって、
アニメはまず作画や色彩といった
「視覚情報」から入るものです。

声優は、いわゆる“中の人”。
興味がなければ、意識されないことも多い存在でしょう。
正直に言えば、当時の私もそうでした。
声優についてはほとんど気にしたことがなく、
「へぇ、すごいな」
と思う程度だったのを覚えています。


🎧 全盲になって変わったこと

ところが、全盲になってからは世界が変わりました。
まず入ってくるのは、
音や声といった聴覚情報です。

キャラクターの外見を誰かに聞かない限り、
その存在は「声」や「話し方」だけで形作られます。
こうなると、声優の演技はとても重要な要素になるんです。

つまり――
全盲になって初めて、本格的に声優に興味を持つようになった のです。


🌟 声優という存在の奥深さ

今では好きな声優さんが何人もいます(ベテランの方が多いですが)。
声を聞けば、だいたい誰なのかわかるようになりました。
好きな声優さんが出演していると、
それだけで「見たい(聞きたい)」と思うようになります。

ただ、少し残念なのは、作品によって
同じキャラクターでも声優が変わることがある点です。
でもそれがきっかけでまた新しい声優に出会い、
好きな人が増えていくこともあります。

経験豊富な声優は、
驚くほど多彩な声を使い分けます。
「え、このキャラも同じ人だったの?」
そう気づいた瞬間から興味が広がり、
気づけばファンになっている――
そんなことも少なくありません。


📺 時代とともに変わる声優像

一昔前は、
声優はあくまで“中の人”で、
表に出ることはあまりありませんでした。

しかし今では、顔出しは当たり前。
歌やイベント、メディア出演など、
幅広く活躍する声優が増えています。
ファンとしては、とても嬉しい変化です。


🔍 情報を補うさまざまな手段

今はインターネットで、

  • あらすじ
  • 登場人物
  • 担当声優

など、さまざまな情報を簡単に調べることができます。

音だけではわかりにくかった場面も、
少し調べるだけで理解の手がかりが得られます。
さらに、アニメの小説版や原作小説、
点字化された作品も大きな助けになります。


📖 音だったキャラクターに「姿」が宿る瞬間

小説版の魅力のひとつは、
キャラクターの外見が細かく描写されることです。
それによって――
これまで音だけの存在だったキャラクターが、
私の中で初めて“姿”を持ちます。


✨ まとめ

アニメは決して「見るだけのもの」ではありません。
声、音楽、セリフ、そして想像力。
それらを通して、
視覚に頼らなくても十分に楽しむことができます。
そしてときには、
視覚に頼らないからこそ見えてくる魅力もあるのです。

初恋の曲、つくってみました

🎧 新作公開のお知らせ

💕 歌詞付き楽曲について

YouTubeに、
歌詞付きの楽曲 をアップしました ✨

今回のテーマは、
ティーンエイジャーの女の子の初恋

揺れ動く気持ちや、まっすぐな想いを描いた、
王道のラブソングになっています。


🎬 制作の裏側

リリックビデオの制作には、
正直かなり苦労しました… 💦
まだ動画づくりに慣れていないこともあり、
仕上がりに不安はありますが、
音楽そのものにはしっかり自信があります。

▶️ ぜひ聴いてみてください。
ここから再生できます👇

大好きで大好きで
https://youtu.be/Mpw9OT68CbA](https://youtu.be/Mpw9OT68CbA

………
このほかに、BGMの新しい楽曲もどんどんアップしています 🎶
Lyranex(リラネックス)で検索してみてください。「LyranexSounds」です!

【お知らせ】AIと音でYouTubeはじめました

🎧 YouTubeでAI音楽、はじめました

突然ですが、お知らせです。
以前、もうひとつのブログを紹介しました。
音楽生成AIについてのブログです。
ブログのURLはこちら↓
https://lyranex-memoir.hateblo.jp/
「音の手触りを探して…ぐるぐる考え、ゆるっと書くメモ」

実は今月から、YouTubeでAI音楽の投稿を始めました。
夫にも協力してもらいながら、
スクリーンリーダー(音声読み上げ)や画像生成AI、チャットAIなどを活用して、動画制作にも取り組んでいます。
「見えないのにどうやって動画やサムネイルを作っているの?」と気になった方は、
ぜひ上記のブログをご覧ください 👀


☕ 公開中のBGM

YouTubeでは今のところ、
作業中やリラックスタイムにぴったりのBGMを公開しています。
たとえばこんな作品があります 👇

🍀 アイリッシュフォークBGM(14曲)
https://youtu.be/4PlHt8zVTZs

🎸 静かな午後のアコースティックギター|カフェ風リラックスBGM(15曲)
https://youtu.be/ybBP7ZkUMQE


🌱 これからについて

まだ始まったばかりで本数は多くありませんが、
今後さらに作品を増やしていく予定です。
現在はほかにも
「カントリー風BGM」や「フラメンコBGM」などを公開しています。
YouTubeで
「Lyranex(リラネックス)」と検索して、ぜひ聴いてみてください 🎶

日常にそっと寄り添える音を届けていけたらうれしいです。
これからも、どうぞよろしく ✨

なぜ弱視ばかり怒られるのか: 盲学校のリアル

👀 前回の続きとして──弱視だったころの話

前回の記事の続きになるでしょうか。
弱視だった時代の思い出を、もう少し書いてみます ✍️

もしまだ読んでいなければ、そちらも読んでもらえると、
少し共感してもらえる部分があるかもしれません。


🏫 盲学校の中での「見えている側」

今では盲学校に少なくなった全盲の生徒ですが、
私が弱視だったころは、生徒にも先生にもたくさんいました。
外に出るときは、
👉 弱視が全盲の手を引く
──これはごく自然な光景でした。

そして前回も書いた通り、盲学校では
👉 弱視=「見えている側」
として扱われます。

外の世界では、晴眼者との比較によって弱視も「障碍者」や「目の悪い人」として見られるけれど
盲学校では違う。


⚖️ 「見えている側」の責任

私の周りには、全盲、あるいはそれに近い生徒が多く、
私はより強く「見える側」としての役割を求められていました。
たとえば、

  • 🧹 掃除
  • 🍽️ 給食の準備
  • 🍳 調理実習

こういった場面では、
👉 弱視が中心になって動き、全盲に指示を出す。
ここまでは、ある意味当然の流れです。
でも問題はその先。


⚠️ すべてが弱視の責任になる

もし誰かが手持無沙汰にしていれば
👉 「弱視がちゃんと指示していないからだ」
ぶつかる事故が起これば
👉 「弱視がちゃんと見ていないからだ」
片付け忘れがあれば
👉 「弱視が確認していないからだ」

そして最終的には、
👉 「見えてるんだから、もっとしっかりしろ」

矛先が全盲に向くことはあまりなく、
多くのことが弱視の責任として扱われていました。
これが、「見えている側」という立場です。


🗣️ 初めての抗議

私たち弱視生徒は、ついに先生に抗議しました。
話し合いの場で、

  • なぜ弱視ばかりが怒られるのか
  • 全盲には全く責任がないのか
  • 弱視も同じ視覚障碍者であることを忘れていないか

そうした思いを、正直にぶつけました。

さらに、全盲の生徒の話を聞いてみると、
👉 「自分のせいで弱視が責められているのがつらい」
👉 「申し訳ないと思っている」
という声がほとんどでした。
誰もが、それぞれの立場で苦しさを感じていたんです。

弱視が二人、三人いたとしても、
👉 健常者の視力になるわけではありません。
誰がどこで何をしているのか、
すべてを把握するなんて無理です。
それに、自分のことだってやらなければいけない。


🤫 忘れられないひとこと

あるとき、先生に怒鳴られました。
👉 「Cさんが手持無沙汰だぞ!」
私は慌ててCさんのもとへ向かいました。
そのとき、彼女が小さな声で言ったんです。
👉 「ごめんね。私が声をかければよかった」

正直、私も心のどこかで
「声を出してくれたら…」と思わなかったわけじゃありません。
でも、申し訳なさそうな彼女を責める気持ちは全く起きませんでした。


🤝 話し合いで見えたもの

この話し合いを通して、
弱視の多くが不満を抱えていたこと
全盲の多くが気まずさや罪悪感を感じていたこと
その両方が明らかになりました。


🌙 全盲になってから気づいたこと

そして、全盲になった今、
逆の立場で気づいたこともあります。

それは、
👉 弱視を頼ることの難しさ です。

視力がしっかりある人には、ある程度遠慮なく頼めます。
でも、弱視の場合は
どこまで見えているのか
どんなふうに見えているのか
👉 それが分からない。
だからこそ、
👉 どこまで頼っていいのか判断が難しい のです。

これは障害に限った話ではありません。
たとえば……
👓 老眼や近眼の人に代読を頼むのも、少し気を使います。
もちろん、どうしても必要なときはお願いするしかありません。

ヘルパーさんの中にも、老眼の方は少なくありません。
それでも頼みやすいのは、
👉 「役割として頼める関係」だから
老眼鏡やスマホを使いながら、
一生懸命サポートしてくれます 📱

でもそれは、
👉 「ヘルパーさんだから


🌱 それぞれの立場のむずかしさ

弱視にも、全盲にも、
それぞれの立場の難しさがあります。
そしてその間には、
👉 言葉にしにくい距離や遠慮がある
そんなことを、感じています。